「教わる」のではなく「自分で考える」


20代の頃、2000年代になりますがよく一人旅をしていました。はじめはアメリカ各地、そして欧州の各国へ。30歳を目前に、一年間ほどドイツで暮らす経験もしました。異文化の中では見知らぬ人が手を差し伸べてくれるやさしさに触れ、逆に瞬間的に絶望するような非道な仕打ちに襲われることもあります。自力を意識せざるを得ない毎日でした。

大きな刺激となったのは、彼らとの対話の中にありました。

それぞれの長短ある人生で深めてきた、母国への思い、家族への思い、胸に秘めた矜持。異文化と隣り合わせに生きる彼らにとっては、特別ではない当たり前のそれらのことが、海に囲まれた穏やかで暖かな環境の下で育った私にとっては、深めずもただそこにあるもののように思っていたことに気づかされました。



いまを、そしてこの先の未来を生きる日本の子どもたちにとって、学びの軸にあるべきは「対話」であり、「自分で考える」ことから始める姿勢。そのために、本を読み、文章を書く経験を積み重ねていくことは、子どもたち自身を鍛えることなのだと思います。

子どもたちにとっては“見えるもの”が世界であり、そこから読んだり書いたり考えたりすることを通じて“見えないもの”にまで世界を広げることができるようになります。別世界を思い描いたり、人の意見に耳を傾けたり、自分の心の芯部を探ったり、それらは「じっくりと」時間をかけて、繰り返すことでわかってくるものです。

長く職業として編集、本づくりに携わってきて思うのは、決して読むことや書くことは孤独な作業ではないということ。協力する作業であり、高め合う作業です。ここでは、ただ読む、ただ書くのではなく、子どもたちには対話を基本として読んだり書いたりを実践してもらいます。そして、その根底には楽しさ、面白味をもって。

いま、子どもたちの学びはどこへ向かっているのでしょうか。
「自立するため」「人を思いやる大人になるため」
言葉にするほど簡単ではないそれらの学びは、知識を得るばかりでは足らず、「自分で読み・書き・考える」ことで獲得できるものだと思います。子どもの頃に、じっくりと身につけるべき大切なことではないでしょうか。

たくさんの子どもたちが集い、この「編集室」を思いのままに活用してもらえることを願っています。


2022年1月、編集者・青山純子